戦数論とはなにか?(3)
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戦数論の正しい解釈
なんとなく釈然としない方も多いと思いますのでここで再度説明します。一般的な戦数反対論は軍事的必要原則を認めた上でその適用範囲が広すぎる事を問題にしています。ですから戦数反対論をもって軍事的必要原則を否定するのはそもそも無理と言えます。戦数反対論は佐藤説に対する反証にはなり得ません。
この点について、戦数反対説の代表である藤田説をみながら具体的に解説していきます。その前に国際法辞典を見てみましょう。
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国際法辞典 筒井若水編より
クリークスレーゾン
戦数,戦時緊急必要,戦時非常事由又は交戦条理と訳され,特定の状況の下では,軍事上の必要から戦争'の法規慣例の遵守義務から免れることができるという「免責事由」の意味で用いられる。例えぱ,※陸戦ノ法規慣例二関スル規則’23条ハ・二では,兵器を捨て又は自衛の手段が尽き投降する敵兵の殺傷と,助命しない旨の宣言が禁止されているが,戦争の成り行きが投降兵の収容を不可能にさせる例外的な状況では,「クリークスレーゾン(戦数)が戦争法を破る」として,上記の禁止が解除されると説かれる。
第一次大戦前に主としてドイツの学者によって唱えられた考え方であるが,戦争法はそうした必要を既に組み込んだものであり,濫用を正当づけるための口実として使用されるおそれがあるとして批判が多い。 |
「軍事的必要」が戦争法に組み込まれていると説明されています。また≪投降兵の収容を不 可能にさせる例外的な状況≫下において戦争法からの逸脱が認められる事は、オッペンハイ ム、立作太郎、遠藤源六、信夫淳平など戦数否定派の学者によっても認められています。国 際法辞典で提示された投降兵収容の例が「クリークスレーゾン(戦数)が戦争法を破る」例であ るならば、「戦数」は多くの学者によって認められていることになります。
(注 免責は認められるがそれは戦数理論によるものではないという立説。また、戦争法からの逸脱は自衛 の為に限定されるなど、軍事的必要を狭く解釈している信夫説他がある。「戦数」各説の詳細は戦数論解説 のページで解説予定「工事中」)
戦数否定論において一般に批判されているのは「濫用の恐れ」つまり「適用範囲が不明確で ある」という点です。特殊な場合の例外をまったく認めないわけでありません。戦数の”適用 論”の部分が否定・批判の対象となっているのです。戦数(免責事由)の存在そのものを否定 する学説としては、藤田博士の戦数反対論があります。参照してみましょう。
新版『国際人道法』増補 有信堂 藤田久一著作 P65
(1)戦数ないし戦時非常事由(Kriegsrason,Kriegsnotwendigkeit)理論は一九世紀後半ドイツの学者により唱えられ、第一次世界大戦までドイツでは通説とされていたもので、その意味するところは、国家の緊急事態、すなわち、戦争の目的達成や重大な危険からの回避という事態において、戦数が戦争法に優先する、ということである。一般に、すべての法制度にはそれに内在する局限性、つまり緊急状態ないし必要状態がそれを破りうることを含んでいるともいわれ、国家緊急権(Staatsnotrecht,Emergency Power)という言葉もある(小林直樹『国家緊急権』学陽書房、一九七九年参照)。
国際法においても、重大な危険により脅かされる国家の本質的利益を守る他の手段のないとき、国際義務に反する国家行為の違法性が阻却される場合がありうるとも考えられる(ILC,Eighth Report State Responsibility by Roberto Ago ,A/CN.4/318/Add.5)。しかし、戦争法や人道法分野にこれを不用意に導人することはきわめて危険である。戦争や武力紛争の状態は、そもそも国家の重大な利益やその生存のかかった事態であるから、あらゆる戦争法、人道法の無視が、戦数を理由に正当化されてしまうからである。
また、ドイツ流の戦数論を批判しつつ、戦数とは別のより狭い特別の軍事必要(Military Necessity)概念を認め、その場合にのみ戦争法侵犯を肯定する見解もある(たとえば、O`Brien,W.V.,"Legitimate Military Necessity in Nuclear War,"worid Polity U[1960]、P.48参照)。
しかし、この軍事必要概念も戦数と実際上区別し難く、結局戦数論と選ぶところがなくなってしまうと思われる。そもそも、戦争法、人道法の諸規定は軍事必要により多くの行動がすでに許容される武力紛争という緊急状態においてなお遵守が要請されるものであるから、それらの規定は予め軍事必要を考慮に入れたうえ作成されている。したがって、条約規定中、とくに、「緊急な軍事上の必要がある場合」とか「軍事上の理由のため必要とされるとき」といった条項が挿人されている場合を除き、戦数や軍事必要を理由にそれらを破ることは許されない。このいわば戦数否定論は、ユス・コーゲンス的色彩の濃い人道法の性質に照らしても、またジュネーブ条約の規定や米英の軍事提要の動向(The Law of Land Warfare,FM27-10[1956] sec3.; The Law of War on land,The Wer Office [1958],sec.633) からみても正当であるといえよう。
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まず、重要なところは<条約規定中、とくに、「緊急な軍事上の必要がある場合」とか「軍事 上の理由のため必要とされるとき」といった条項が挿人されている場合を除き、戦数や軍事必 要を理由にそれらを破ることは許されない>という部分です。
藤田説における戦数反対論は「条約化された交戦法規」についてのものである事がわ かります。交戦法規(戦争法)が明文化・条約化されるにあたっては、軍事的必要を考慮したう えで作成される。軍事的必要性が認められる場合には、条文に「軍事上の理由のため必要 とされるとき」という一文が挿入されるのだから、条文中特に指定がない法規については、軍 事的必要を理由に破ってはいけない、というのが藤田博士の戦数反対論です。
戦時犯罪を軍事裁判(軍律審判)をもって裁くというのは「慣習法」です。条約のように作成段階でどこまで軍事的必要原則を認めるかの議論はされていませんから、自動的に軍事的必要原則を排除していると考える事はできません。慣習法においても(条約のように)「軍事的必要」がある程度認められた形で定立している場合もあります。
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つまり、戦数反対論・藤田説により便衣兵の処刑を違法である(法理論上免責されない)と 論証する為には、慣習法において「軍事的必要が認められていない」ことを証明する事が必要 となります(各国の慣行については次ページで)
慣習法において軍事的必要が認められている具体的な例について考察 してみます。
条約化された交戦法規については、軍事的必要が認められ明文化されている例もあります。では条約化される前の慣習法の段階ではどうなのでしょうか?。軍事的必要原則は認められているのでしょうか、否定されているのでしょうか。ちょっと考察してみましょう。ハーグ法規23条における敵国財産を例にして考察します。
ハーグ陸戦法規 (禁止事項として) 第23条ト号「戦争の必要上万已むを得ざるを除くの外、敵の財産を破壊し押収すること」 |
敵国財産の押収・破壊についてはハーグ法規で明文・条約化されたわけですが、条約化以前の状態はどうだったのでしょう?。可能性としては三つあります。
1.慣習法として敵国財産の押収・破壊は絶対禁止だった。 2.慣習法は存在せず、敵国財産を自由にしてよかった。 3.敵国財産の押収は原則禁止と考えられていたが、軍事的必要があればその限りではない、つまり作成された条約とほぼ同様の、軍事的必要を認めた慣習法が定立していた。 |
■まず、1番については実際に多くの戦争で敵国財産の押収破壊が行われている事から絶対禁止であるという慣習法が存在していたという事はありえないと言ってよいでしょう。仮に軍事的必要を排除した形の慣習法が国際法規として妥当であると認められていたならば、条約化にあたり軍事的必要を付け加える必要はないとも言えます。
■次に2番ですが、慣習法自体が存在しなかったという可能性は理論的にはありえます。勝者が敵国財産を自由してよかったという時代もあり、戦場で略奪が行われるのはむしろ当然という時代もありました。
しかし近代において、例えば、アメリカの1863年の陸戦訓令(リーバー法)では略奪(敵国財産の押収)は禁止されています。リーバー法については『その規定事項は当時にありて戦時国際法上の一般周認の陸戦関係の重要な諸原則を網羅して漏らさず』(戦時国際法提要(上)信夫淳平著P353)という評価がされています。
敵国財産を尊重する事は、すでに一般的に知られた重要な原則として扱われていた事が伺えます。
1874年の国際法の法典化を目指したブラッセル会議における決議(国際条約としては発効せず)においても、「私有の財産は没収することを許さず」として第39条「略奪はこれを厳格に禁制す」とあります。同時に禁止事項・第13条ト号として「戦争の必要万止むを得ざるに非ずして敵国財産を押収すること」とあります。
これらの事から「略奪を禁止し敵国財産を尊重すべき」という考え方は国際的な慣習としてすでに存在していたと考えてよいでしょう。少なくとも無制限な略奪は認められていなかったと考えられます。
■すると3番のように、ハーグ条約以前についても、軍事的必要を認めた形の慣習法が定立していたと考えるのが妥当であると言えるでしょう。結論として「慣習法においても軍事的必要原則は否定されていない」という事が言えます。
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念のためもう一つ軍事的必要原則が認められていた例をあげてみます。投降兵に関する扱いについてです。1899年のハーグ法規では第23条の禁止事項として、(ハ号)兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること。(ニ号)助命せざるを宣言すること。が条約化されました。
1874年のブラッセル会議における決議(国際条約として発効せず)もハーグ条約とほぼ同様の内容でしたが、当初提案された内容は条約化されたものとは少し違いました。
戦時国際法提要(上)P563 信夫淳平
本両号に該当する条項を1874年のブリュッセル会議において討議せる際の原案は『交戦者は敵を助命せざることを宣言するの権利無きものとす。但し、敵のとりし過酷の行為に対する報復として、もしくは味方の廃滅を防ぐ不可避的手段として、の場合に限りこれを為すことを得。敵を助命せざる軍隊は己の助命を要求する権利無きものとす』というのであったが、この例外的許容の文字は削られて、大体現行の本両号となったものである。しかしながら現行規定の下にありてとも、ある場合は不助命の宣言に例外を認めぬではない。
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1874年ブラッセルにおける提案当初は「軍事的必要」が条約案に盛り込まれていました。これは当時の慣習法で軍事的必要原則が認められていたからだと考えられます。また、条約化以降もその例外(軍事的必要)について学説上は完全に否定されていません。軍事的必要からくる例外を認める場合について、同書においてはオッペンハイムやホールの学説が引用されています(その他、立作太郎、遠藤源六、高橋作衛といった国内の著名な学者も例外があることを認めていますので、特殊な考え方ではありません)。
条約化以前の慣習法の段階では、軍事的必要原則を認め、助命しない等の宣言をする事が認められていたと考えてよいでしょう。
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■以上、慣習法において軍事的必要原則が排除されているという事は 理論的にありえないと考えられます。
結 論
戦数否定論・藤田説は軍事的必要原則を完全に排除したものではない。藤田説において軍事的必要が排除されるのは条約化(条文化)された交戦法規についてである。これは条文中に軍事的必要を認める条項が存在しない場合、軍事的必要が排除されたものとみなす考え方である。
このような戦数否定論・藤田説をそのまま慣習法に適用することはできない。すでに実例があるように、慣習法には軍事的必要を認めた形で定立しているものも存在するからである。 便衣兵の処罰については「慣習法」が争点である以上戦数否定論・藤田説だけでは佐藤説に対する反証にはなり得ない。慣習法により軍事的必要が排除されていた事の証明が必要である。
また、条文化された法規であっても、特殊な場合において軍事的必要により破られる場合があるえる事については多くの学説があり、明確に否定されているとは言えない。「戦数=軍事的必要による戦争法侵犯を認める(免責する)説」と定義するならば戦数は否定されていない事になる。
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