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共同研究「パル判決書」(下)

 東京裁判研究会編 講談社学術文庫
 



  パル判決書はかなりの長文であり、講談社文庫版の厚さは、上下2冊で6.5センチ以上になる。 私の手元にある辞典と比較すると、一冊で『コンサイス外国人名辞典』とほぼ同様の厚さになる。 このような長文であるから、ごく一部だけを「極めて恣意的に引用」ただけでは、パル判事が どのように考えたのかを知ることはできない。

 ここではパル判事が、どのような規準で事実認定(証拠認定)を行い、南京事件をどのよう に判断したのかを見ていくことにしよう。引用は特に注釈がない場合「パル判決書」から行った。 (漢字、かな、については読みやすいように直した部分もある。また、改行については原典と違う 場合もある)

(P537-538)
 主張されているの残虐行為の類似性は、同時に全く正反対の結論を導き出すかもしれない。 それはある共通の源泉から、起訴事実と証拠が形成されている、ということを示唆するかもしれない。 世界は憎悪心を喚起する為に事実無根の残虐な話の例を、今まで全く聞いた事がないわけでもない。
 米国アイオワ州大学アーノルド・アンダーソン教授は 「敵国指導者、その裁判及び処罰の実例」と題する最近の論文で、米国南北戦争における「獄中の虐待の話」 ――これは後日に至ってほとんど全面的に否定されたものである――が、 憎悪心(敵愾心)を喚起する為に企図された、宣伝の重大要素であったことを指摘している。

  教授は右のような残虐行為の種々な話を相当詳細に取り上げている、W・B・ヘッセルタインの 「南北戦争における牢獄ー戦争心理の研究」と題する著書に言及している。 そこに書かれている獄中残虐物語が、現に我々の前にある残虐物語と、 驚くほど類似している点は、注目に価するものである。
 それによると、南軍は「俘虜の咽喉を耳から耳へかけて斬り裂いたり、俘 虜の首を切り落としてフットボールのように蹴り飛ばしてみたり、 また負傷者を木によりかけて射撃の標的としたり、また負傷者に銃剣を突き刺して苦しめたりした」 と世間の人に告げられた。一週刊画報は、叛軍兵士が負傷兵の身体に銃剣を突刺してる ページ大の写真を載せて出した。


  『残虐行為の類似性は、同時に全く正反対の結論を導き出すかもしれない。』これはどういう意味だろうか?戦時下において語られる残虐物語の多くが 「創作された可能性」を示唆していると考えてよいだろう。そして南北戦争の残虐物語と「南京大虐殺」との「類似性」は注目にあたいする。 これはある意味で、戦時下における宣伝にある種の傾向が存在することを示していると 考えるてよいだろう。 「米国南北戦争での残虐行為」については「後日、ほとんどがウソだった」と判明した ということである。





(P540〜541)
 右のような話をさらに数多くあげて検討する必要はない。 かような話の真否は少しも本件の助けとはならない。我々の前には証拠が提出されており、 我々としては、その提出されている証拠に基ずいて独自の決定を下さなければならないのである。  ただ本官がここで強調して置きたいことは、この点に関しての証拠の取捨選択には、 ある程度の警戒が必要であるということである。

  証言がある程度まで一致している各個人の体験談でさえ、単にそのような 証言が数多くあるという事だけをもって、 起訴事実の真実性の保証とは必ずしもならない。

 俘虜が至るところで残忍な番兵や凶悪な看守に遭遇した点に、 また詳細に描写された種々の残虐行為に類似した点があると言うのならば、 我々は同時に、脱出に関する話の中にも、多分に一致したところがある点を見逃してはならない。 ほとんど全部の殺戮事件において、常に一人の人間が不思議なほど 類似した状況の下に脱出している。
 これには、興味深い心理上の問題が含まれているかもしれない。
 「あることが起こるのを」見た者の言い分を、例え彼らがその両の眼で確かに見たと主張する場合でも、 必ずしも信じられない事は、我々のよく承知しているとこである。
 彼らに何かを暗示し、彼らの思考作用を一定の線に沿って働かせ、ちょっと驚かし、 ちょっと惑わしてみよ。何事でも起りうるのである。  この段階において、われわれにの前に提出された証拠が全部右のような疑いのないものであるとはいいがたい。


 つまりある種の「証言」を「証拠」として採用するにあたり、無制限・無警戒に行っては ならないという当然の主張である。



(P557-558)
  本件はこの部門に関し提出された証拠に移る前に、本官はもう一度注意をうながしたい。 戦争犯罪の話は激怒または復讐心を生みだすものである。 我々は感情的要素のあらゆる妨害を避け、ここにおいては戦闘中に起こった事件について 考慮考慮を払っていることを想起しなければならない。そこには、当時起った事件は興奮した 、あるいは偏見の目をもった観測者によって目撃されたであろうという特別の困難がある。  さらに戦争中勝利を得、戦時俘虜を捕獲するに成功した交戦国は、本件の起訴状に訴追されている 性質の残虐を犯したとみなされる可能性があり、究極において敗戦した場合は敗戦そのものによって、 その最も邪悪な、残忍な性質が確立されるのである。 もし刑罰がここに適用されるものでなければ、どこにも適用されるものではないと 我々は言い聞かされている。我々はかような感情は避けなければならない。
 当時の新聞報道あるいはそれに類似したものの価値を判断するにあたって、我々は戦時において 企図された宣伝の役割を見逃してはならない。本官がすでに指摘したように、 的を激怒させ、味方の銃後の血を湧かし、中立国民をして憎悪と恐怖を抱かしめる方法として、 想像力を発揮する為の一種の愚劣な競争が行われるのである。本官はすでに戦争の残虐談について いくつかの例を述べた。
 
 南京事件の例でいうと、まず目撃者の多くは「被害者側」の人物であり、 興奮と偏見があったことは否定できないはずである。 また、情報戦と言う言葉が示すとおり、戦時下における報道が客観的であるという 保証はどこにもない。むしろ当時国双方の主張が食い違う事例のほうが多いだろう。また「捕虜を残酷に扱った」という問題に対しての見解も正鵠を射ている。 敗北者の罪は糾弾されるが、勝者は裁かれないのである。





(P560)
 宣伝の過去の歴史は本件において極めて重要な関連を有するものである。 すくなくともどの被告の場合においても、そのいわゆる不作為の法律的影響 を考慮する時に重要なのである。もし我々がいま審理している戦争において 、これらの要素の作用が全然なかったことが確証されていたとしても、 戦時宣伝の過去の経験が被告の考え方に影響を及ぼして、敵側から出た いくつかの虐待事件に関する戦時宣伝を是認するか、拒絶するかの どちらかの方向に向けさせうるものであるか否かということは、依然として 適当な考慮を要することである。
 これに関して述べておきたい事は、南京暴行事件に関する発表された記事 でさえ、世界は誇張されているものであるというある疑念をもたないでは 受け取りえないということである。

 戦時下における宣伝工作が、過去の歴史において行われてきた以上、例えば 自軍の占領地における残虐行為の報道を耳にしたとしても、 真偽は不明というしかない。 すぐにその報道を信じる事はできない。つまり、不作為の罪(防止する方策を取らなかった責任)に関していうと ”何らかの違法行為の報道がされた”という事だけで、不作為の罪を問うことは 適当ではないという意味であろう。  また、南京事件の報道についても、『当然誇張されている』と考えなければ ならないことをパル判事は示しているのである。





(P561)
  本官はすでに曲折とか誇張に関するある程度の疑惑を避けることにできない ある事例について述べた。もしも我々が、南京暴行事件に関する証拠を厳密に 取り調べるならば、同様の疑惑はこの場合においても避けられなのである。
  南京暴行事件に関する2名の主な証人は許伝音とジョン・ギレスピー・マギーとである。 許氏はイリノイ大学の哲学博士である。法廷外で取られた同氏の陳述は本件において 証拠として提出されようとした。これは検察側文書1734号であった。我々はこれを 却下し、同氏は裁判所において尋問を受けなければならないと決定した。 〜4行省略〜  右の証人はいずれも我々に対して、南京において犯された残虐行為の 恐ろしい陳述をしたのである。しかしその証拠を曲折とか、誇張とかを 感ずることなく読むことは困難である。官は両証人の申した全てのことを 容認することは、あまり賢明でないことを示すために、いくつかの実例を指摘するに 止めよう。

 常識的に考えれば、許伝音・マギー証言で示された残虐行為をそのまま信じる方がおかしいということである。







(P566)
 もし我々が証拠を注意深く判断すれば、出来事を見る機会は多くの場合に最も はかないものであったあったに違いないということを、我々は発見するであろう。 しかも、証人の断言的態度は、ある場合には知識を得る機会に反比例しているのである。 多くの場合には彼らの信念は、彼らをして軽信させることに、あるいは役立った興奮だけに よって導かれ、その信念は彼らをして蓋然性と可能性の積極的解説者たらしめる作用をしたのである。 風説とか器用な推測とか、全ての関連のないものは、おそらく被害者にとっては ありがちの感情によって作られた最悪事を信ずる傾向によって、包まれてしまったのである。
  これに関し、本件において提出された証拠に対し言い得るすべてのことを念頭において、 宣伝と誇張を出来うる限り斟酌(しんしゃく)しても、 なお残虐行為は日本軍そのものが占領したある地域の一般民衆、はたまた 戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である。
 問題は被告に、かかる行為に関し、どの程度まで刑事的責任を負わせるかにある。

 注意深く考えれば、証言されたような「特殊な事件(残虐なる事件)」を実際に目撃する 機会は、ほとんどゼロに近いはずである。という指摘である。 そして、証言者の態度が「知識を得る機会に反比例している」ことの矛盾を 被害者心理として解説している。 事件の知識が薄い(伝聞を伝えるなど)証言者のほうが、より過激に日本軍の 残虐ぶりを証言しているのは、被害者心理であるという解説だろう。

 こういった、「あやふやな証言」や、戦時宣伝という事情により、実際よりも 南京における暴行が誇張されたものだとしても、 『規模はともかく、なんらかの暴行事件があったという証拠は圧倒的である。』 というのがパル判事の見解といえる。

 ここで注意したいのは、マギー証言や許伝音証言については、ほとんどその証拠価値 を認めていないという事実である。またパル判事が南京暴行事件の中心と考えたのは「捕虜の殺害」と 「ある地域の一般民衆」に対する犯罪行為であることが分かる。 「ある地域」という表現から、これは安全区をさすものと思われ、主として便衣兵 摘出のさいに誤認逮捕された民間人のことを指していると考えられる。すくなくとも 安全区内では市民を数百人単位で無意味に殺害した事件は発生していない。




(P599)
 本官は検察側によって述べられた前記の事実を、法廷記録にある証拠が どの程度立証するかを検討してみよう。
  本官としてはまず第一に、南京において行われたと主張されている残虐事件を取り上げてみる。  検察側証拠によれば、1937年12/13南京陥落のさい、城内における中国軍隊の抵抗は全て終息したのである。 日本の兵隊は城内に侵入して、街上の非戦闘員を無差別に射撃した。 そして日本の兵隊が同市を完全に掌握してしまうと、強姦、殺害、拷問及び劫掠の狂宴が始まり、 6週間続いたというのである。 最初の数日間、2万人以上の者が日本人によって処刑された。最初の6週間以内に、南京城内およびその周辺において殺害された者の数の見積もりは 26万ないし30万人の間を上下し、これらの者はすべて実際には裁判に付されることなく、 殺戮されたのである。
 第三紅卍字会および崇善堂の記録によって、この2団体が埋葬した死体が15万5000以上 であった事実が、これらの見積もりの正確性を示している。この同じ6週間の間に 2万人を下らない婦女子が日本の兵隊によって強姦された。
以上が検察側の 南京虐殺事件の顛末である。

すでに本官が指摘したようにこの物語の全部を受け入れる事は、 いささか困難である。

 そこにはある程度の誇張とたぶんある程度の歪曲があったのである。本官はすでにかような 若干の例をあげた。その証言には慎重な検討を要するところのあまりに熱心すぎた証人があきらかに 若干いたのである。

 まず「法廷記録にある証拠」の立証能力については、かなり否定的であるようだ。 検察側の提出した証拠を「 物語 」と表現し、全部を受け入れることは困難としている。 それは、検察側の提出した証拠の、信頼性の低さを暗示したものと考えることができる。







(P600)
 いずれにしても、本官がすでに考察したように、証拠にたいして悪くいう ことのできることがらをすべて考慮に入れても、南京における日本兵の行動は凶暴であり、 かつベイツ博士が証言したように、残虐はほとんど三週間にわたって惨烈なものであり、 合計六週間にわたって、続いて深刻であったことは疑いない。事態に顕著な改善が見えたのは、 ようやく二月六日あるいは七日すぎてからである。弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。 彼らはたんに誇張されていることを愬(うったえ)ているのであり、かつ退却中の中国兵が、 相当数残虐を犯したことを暗示したのである。

 「ベイツ博士が証言したように」とあることから、パル判事はベイツ教授の証言内容は あるていど証拠としての価値が高いと認めたのだろう。 ベイツ証言は他のページで引用しているのでここでは触れないが、ベイツ説とは「市民1.2万、軍人3万」 である。つまり、パル判事は検察側の主張する物語(後に南京大虐殺と呼ばれる物語)は 明確に否定し、いわゆる中間説の立場を取ったものと思われる。



 バル判事は南京大虐殺と言う物語は否定し、それよりもかなり小規模な「南京事件があった」という見解をしめしたといえるだろう。弁護側も事件の存在自体は否定していないので当然の結果であるといえる。虐殺派はバル判事が検察側主張の南京大虐殺を認めたのかのように主張しているがこれは明確な間違いといえる。






■弁護団の方針

 これは担当した伊藤弁護士の弁護方針でもあったのだが、被告・松井大将の権利を守るほう、つまり個人弁護に重点を置いたため、南京事件に関する個別の事実認定に付いての反証は「一応に留めた」ということである。これはどういう事かというと、「犯罪はなかった」という証明(つまり、南京事件はなかったという証明)をする為には、検察側が提出してきた膨大な証拠に対して逐一反証する必要があり、これは物理的にも困難であるという事情からだった。

 弁護士自身もまた罹災者であり、弁護団の中心的人物であった清瀬弁護士は空襲で自宅を失った為、自宅近くの寮に仮住まいしドラム缶風呂に入るという生活である。戦後の食料難の時代、違法なヤミ米を拒否し、配給の食糧だけで生活していた裁判官が餓死するという時代でもあった。証拠を集めたくても戦災で失われたものや、焼却された書類も多く、証人を探すといっても現在のように新幹線や飛行機があるわけではない。資料を収集・整理を手伝ってくれる人に払う賃金もままならず、という状況である。

 つまり『南京事件の真相解明はおいといて、占領下の南京において、規模は別として幾らかの犯罪行為が発生したことを認めたうえで、松井大将が方面軍司令官として兵士の非行防止に務めたこと、直接部下に指導する立場にいた師団長などが存在していたことなどから、松井大将には刑事責任はない』という弁護を行なったのだった。

 東京裁判で弁護側が南京事件の規模についてさほど熱心に語らなかったのは、以上のような理由からである。スマイス博士の戦争被害調査が証拠として提出されなかった理由も、東京裁判で弁護側は規模を論点にしなかったという事情からであろう。被害者が一万人でも十万人でも非行を防止する責任が発生するのは当然であるから、弁護側がスマイス報告を提出することにより、そこに記された記述内容を認めたとされるほうが不利になるからである。規模に関してはぼかした上で、松井大将の権利を守るほうに重点をおいたのである。

 この部分についてパル判事はこのように評価している≪残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。 彼らはたんに誇張されていることを愬(うったえ)ているのであり、かつ退却中の中国兵が、 相当数残虐を犯したことを暗示したのである。≫日本側が否定しない以上、南京でなんらかの事件が発生したとバル判事が判断するのは当然のことで驚くようなことではない。被告・松井大将についてパル判事は 「被告に責任なし」という意味で無罪を主張している。


 

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