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紅卍字会の埋葬にかかわる「許伝音証言」


○許伝音証人
三日目に私は日本兵を伴うと云う条件の下に市内を通ったのであるますが 、この目的は路上
に、もしくは家の中に死んでいた、もしくは死なんとしている 者の数を略々決める為でありまし
た。

『宮本モニター ちょっと付け加えます。「日本陸軍将校の許可を得て」』
※ 許伝音の宣誓口述調書には「南京陥落後三日目に、私は 自動車で通りました。それは日本兵が紅卍字
協会に死体埋葬の相談をしに 来たからであります。私はどんな様になっているかを見にでかけました」
(ここまで引用)
以上(日中戦争史資料集8 東京裁判資料P25)







○サトン検察官
  紅卍字会は南京で死亡した市民の埋葬に従事いたしましたか。

○許伝音証人
  卍教会はこのような博愛的な仕事に従事しておったのであります。しかしこの際、 あまり多くの死骸がありましたので、
『伊丹モニター 訂正。紅卍教会は(紅卍字会)は金に窮して、自費で埋葬できないような 人々の埋葬を普通取り扱っておりましたが、その当時あまりにも死体が多くて、持て余して いた訳でありました。併し日本軍当局より人が参りまして、お前たちは死体の埋葬の仕事を しているのだから、我々に手伝って死体の引取りをやってくれと申しました。』
  日本軍は我々に許可を与えてから市内を歩き回る許可証、或いは通交証をくれました。そうしてこの仕事をなす為に、我々は200人の労働者を抱えておったのであります。 我々は死体を直ちに埋葬しました。これらの死体の数は実に4万3千と言われており ますが、これはあまりにも過小評価であります。私たちは真の数がどの位であったかを はっきり申すことはできないのであります。
『伊丹モニター 追加。その理由は正確な数字を発表することを 許されませぬでした』
始め我々は数字を出し、そうして公の文書にして残すことはあえてできなかったのでありま す。そこで我々は私の文書としてこれを記録しておいたのであります。この数字は 我々が埋葬した死体の数であります。これらの死体はすべて一般中国市民であって、一人 としてそのなかに兵隊はいなかったのであります。
『伊丹モニター 追加。私たちは軍人とは何の関係もありませんでした』

○サトン検察官
  それでは一般市民の埋葬に関係しておった他の団体が南京にありましたか。

○許伝音証人
  はい。他にもそういう団体がありました。これらは主として博愛慈善の為の団体であり ました。紅卍字協会(原文ママ)はその一つでありました。

○サトン検察官
  それでは紅卍字協会のほうで処理をして埋葬した死体というのは何処で見出されたのですか。

○許伝音証人
  これらの死体は自分たちによって発見され、あるいは周囲の人が、私たちに告げ、 あるいは日本の将兵が私たちにその所在を示したのであります。日本軍は伝染病を非常に恐れました。
『伊丹モニター 訂正。この流行病蔓延の危険は特に、1月、2月、3月、4月 に激しかったのであります』

(日中戦争史資料集8 東京裁判資料集)P30〜P31









      


  許伝音証言にある「3日目」というのは南京陥落後3日目ということと思われます(12月16日
頃)。その後、直ちに埋葬を始めたと言っているところから、12月中には埋葬を 始めたと考え
られます。(ただしこの証言では最初に埋葬した場所が明らかにされていない)。これらの埋葬
にはどうやら許可が必要だったようです。国際委員会の公文書を見てみましょう。

国際安全区委員会公文書(T-6号もしくはZ-9号)抜粋

『ところが、西洋人が乗車していないトラックが路上に出ると、必ず徴発をうけております。 火曜日の朝、紅卍字会(当委員会の指示に従って仕事をしている団体)が トラックを出して遺体を収容しようとすると、 トラックが奪われたり奪われる寸前の破目になったりしており、昨日は14人の労務者が連行されました。』

(日中戦争史資料集 英文関係資料編P126)

 この文書は12月17日付けで日本大使館に提出されています。文中の火曜日とは「12月14
日」を指していると考えられます。当初外国人たちは、埋葬には特に許可などは必要ではない
と考えていたようですが、この事件が発端となって埋葬には許可が必要ということになったの
でしょう。少なくとも城内の通行や城外に出る為の「通行許可証」が必要だったことは確かなよ
うです。日本側特務機関資料によれば、南京の城門は日本軍により警備されており、自由通
行が解禁になったのは2月25日以降ですから、それ以前は許可証がないと通行は難しかった
と言えるでしょう。






 これは城門の警備状況に関する特務機関資料です。
『難民の城門通行に関しては厳重にこれを制限しありしも情勢の推移に鑑み暫時これを緩和し二月二十五日以降無制限通行を許可したり。』
華中宣撫工作資料P153






  これらの資料から考察すると、小規模な埋葬はともかくとして、数千以上といった大規模な
埋葬をおこなうには相応の人員が必要ですから、通行許可証がない団体が独力で大規模な
埋葬を行なったとは考え難いといってよいでしょう。特務機関資料には、埋葬を行なった団体と
しては紅卍字会しか記録に残っておらず、その他の団体に通行許可を出したという資料は
無いようです。
  








埋葬記録の原典は存在するか?


  許伝音証言によれば、東京裁判に提出された紅卍字会の埋葬記録は1937〜1938年当時
の記録ではなく、戦後に編集 されたものである可能性が高いと言えるでしょう。紅卍字会の埋
葬記録は、公式な記録としての保管は許されず「私文書として保管」していた物のようです。現
在中国に保管されているものは、東京裁判提出用に作成されたもののようで、許伝音が保管
していたという「メモ」原本は発見されていない(公開されてない?)ようです。


  また許伝音は、日本側が埋葬記録を隠蔽しようとしたようなニュアンスの証言をしてい
ますが、遺棄死体数について日本側の南京陥落後の発表では、12月27日の東京日日新聞が
53、874体、12月30日の朝日新聞が84.000体、と報道(いずれも上海派遣軍発表)しているの
で、10万程度の死体が存在したとしても、死体数を隠蔽する理由は見当たらないということ
です。(ちなみに日本の虐殺派の主張は10数万以上)。戦争をやってるのですから死体があ
るのは当然で、それ自体は不都合なことではないのです。仮に死体数を隠蔽したいなら埋葬
を民間に委託せずに軍で行なうほうが確実です。第一、日本側資料(特務機関資料)には
卍字会の埋葬の様子が記録されています。








「後になって大虐殺があったことにしたい」
場合には当時の埋葬記録が残っているとい
うのは不都合なのかもしれませんが、日本
側にはそれを隠蔽する理由はありません。
極論すれば死体数を戦果であると言い換え
ることも可能だからです。




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