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スマイス調査の疑惑
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 スマイス調査(戦争被害調査)は、虐殺派からは犠牲者が少ないという疑問が提示され、ま
ぼろし派からは、犠牲者数が多いのでは?という疑念を抱かれている資料である。中間説の
立場から見るとスマイス調査は概ね公正であるという見解になるようだが、これはむしろ本末
転倒とも言えるのではないだろうか。むしろ「スマイス調査が概ね公正だと考えられるから中
間説(軍人3万程度、民間人数千〜約1万)の支持者」であるという場合が多いように感じる。


 こういった重要な基礎資料であるスマイス調査であるが、北村教授の著作「南京事件の探
求」に掲載された資料により新たな疑惑が生まれたと言える。台湾で北村教授が発掘した資
料とは、王凌霄『中国国民党新聞政策之研究』である。北村教授の著作から、王凌霄『中国
国民党新聞政策之研究』の引用・解説をした部分を先に引用する。

 
 そして「南京事件」に関しては、次のように述べる。「日本軍の南京大虐殺の悪行が世界を震撼させた時、国際宣伝処は直ちに当時南京にいた英国のマンチェスター・ガーディアンの記者のティンパリー〔田伯烈〕とアメリカのスマイス〔史邁士〕に宣伝刊行物の≪日軍暴行紀実≫と≪南京戦禍写真≫を書いてもらい、この両書は一躍有名になったという。このように中国人自身は顔を出さずに手当てを支払う等の方法で、『我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言人になってもらう』という曲線的宣伝手法は、国際宣伝処が戦時最も常用した技巧の一つであり効果が著しかった」。
 文中の『  』内は王凌霄が曾虚白の『自伝』の文章を引用する部分である。

「南京事件」の探求P40 北村稔著 文春新書207

 ここで名前が出てきた「曾虚白」とは何者かというと「国際宣伝処長」であるということだ。
これは現在の中国(中華人民共和国)で刊行された資料『抗戦時期重慶的対外交住』1995年
に記されているという事である(南京事件の探求P37〜より)。「南京戦禍写真」というのはス
マイス博士の戦争被害調査のことで、南京関連の研究における重要な基本資料となっている
ことは説明する間でもない。




次に「国際宣伝処長」だった「曾虚白」の自伝を引用してみよう。
 
 〜我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔をだすべきではなく、我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した。[中略]このあとティンパーリーはその通りにやり、[中略]二つの書物は売れ行きのよい書物となり宣伝の目的を達した」。引用文中に、ティンパリーが日本軍占領直後の南京にいたと注を付したが、これは当時の日本外務省外交官補であった福田篤泰氏からの板倉由明氏による「聞き書き」に基ずく(前出、板倉由明「南京大虐殺の真相≪続≫ティンパーリーの陰謀」)
 
「南京事件」の探求P43 北村稔著 文春新書207

 これらの中国側(当時の中華民国は現在の台湾)史料を見る限りどうやらスマイス調査もプ
ロパガンダの一貫として利用されたと考えてよいようだ。するとスマイス博士の戦争被害調査
は、実際よりも、日本軍によって与えられた被害が大きく見えるような操作が加えられている
可能性を考慮する必要があるだろう。つまり市部における統計調査「殺害2400、連行され帰
らない4200人合計6600人」が日本軍により殺害されたとする調査結果自体が過大である
という可能性があるのだ。

 日本軍の加害責任を過大に見せかける為には二つの方法が考えられる。一つは調査結果
を恣意的に変更(ようするに捏造)することで、もう一つは調査は適切に行いながら、集計の段
階で操作を加えるという手法である。実際の調査内容に捏造があるかどうかは検証する術が
ないが、筆者(グース)が戦争被害調査を検証したところでは、統計調査は概ね適切に行なわ
れたように思われる。むしろ集計の手法や、注釈にいくつかトリックがあるようなのでその点を
中心に検証してみよう。






第一の不審点

「すり替えられた被害原因」


 まず、スマイス調査の市部調査において使用された調査票の中国語訳を見てみよう。死亡
状況の原因の部分に注目してもらいたい。原因は「事故」と「冲突」の二種類になっている。
小学館の中日辞典によれば「冲突」は「衝突(する)、ぶつかる」という意味とされている。
「冲」というのは中国の親字(標準字体)であるが、もともとは「衝」という文字があてられていた
らしい。この票の場合は軍事衝突という意味になるようだ。


「侵華日軍南京大屠殺史料」P317 
江蘇古籍出版(1985年7月初版)より





 次に日本語訳をみてみると、「事故」「戦争」という区分けになっていることがわかると思う。
「戦争」というのは中国語で「衝突」と訳された部分である。
日中戦争史資料集9 英文関係資料編P247より



問題は注釈の部分である。ちょっと引用してみよう。
※「事故」というのは軍事行動の結果を記録する略語として、「戦争」というのは軍事行動以外の日本兵の暴行を指す略語として使われた。


 一見して妙な記述であることがお解かりいただけると思う。このように調査の段階では「事
故」「戦争」という区分だった死亡原因が、集計の段階では「軍事行動」と「日本兵の暴行」とい
う原因に見事に摩り替わってしまったのである。
 軍事行動の結果を表すならわざわざ「事故」という略語を使用する意味はまったくない。
「軍事行動」もしくは「戦争」とすれば何の問題もないのである。また、「日本兵の暴行」は「暴
行」と記せばより実体を表すだろうし、略語を使用する必要はないのである。(ちなみに農村調
査では「暴行」という死亡原因があるが、市部調査において「暴行」という区分けが使用されな
かった理由は不明)。


 また日本語訳を見る限り注釈部分は調査時(調査票)には明記されておらず、出版する段
階で追記されたようである。つまり、実際の調査がこの注釈に沿って行なわれたかどうかは不
明であるといえる。


  実際の調査がどのように行なわれたのかは詳細が史料がないので断言できないが、死亡
原因が実質的に二択の場合、「軍事行動(砲撃爆撃など)」と「それ以外」という捉え方をする
ことは想像に難くない。つまり砲撃爆撃以外の死亡原因については、まとめて「戦争」とい
うカテゴリーに区分されたという可能性が高いのである。この「戦争」という区分が集計では
「日本軍の暴行」にすり替わっていることはすでに説明したとおりである。
 では実際の集計を検証してみよう。

 

スマイス調査(市部調査)より


第4表 日付別による死傷者数及び死傷原因
日付け
(1937-1938)
死亡原因
負傷原因
拉致さ
れたも
の※※
死傷者
数総計
兵士の暴
行による
死傷者の
比率(%)
軍事
行動※
兵士の
暴行
不明
軍事
行動※
兵士

暴行
不明
12月12日以前
600
50
650
12月12日、13日
50
250
250
200
550
91%
12月14日〜1月13日
2000
150
2200
200
3700
4550
92%
1月14日〜3月15日
250
日付不明のもの
200
150
600
50
50
1000
75%
850
2400
150
50
3050
250
4200
6750
81%
12月13日以降の暴行
件数の比率(%)
89%
90%
※軍事行動とは砲撃、爆撃、戦場における銃撃を指す。
※※これら拉致されたものについては大半がまったく消息不明である。

日中戦争史資料集9 英文関係資料編P254
(表中、数字横の「%」記号は筆者が追記した)


 見てのとおり、調査票で「事故」に分類されていた部分が「軍事行動」に書き換えられ、「戦
争」に分類されていたものが「兵士の暴行」に書き換えられている。調査票では二択だった死
亡・負傷原因であるが集計の段階では「不明」という区分が追加されている。「不明」というの
は、おそらく家族の誰かが負傷・死亡しているが、調査を受けた家族はその原因を知らないと
いう意味になるかと思われる。これは「その他の原因」という意味にはならないようだ。(「不
明」と「その他」はあきらかに違う意味である)

 ここで単純な疑問が出てくるのだが、病死した場合や、犯罪を犯して検挙〜処刑された
場合、あるいは(平時における)事故といった理由で死亡した場合にはどこに計上される
のか? という部分である。集計された表には「その他」という区分はない。(ちなみに農村調
査では死亡原因に病死という区分があり、その他という区分もある。農村調査と市部調査で死
亡・負傷の原因区分が違っている理由は不明)


 また表を見ると分かるように、12月13日南京陥落以降は「軍事行動」の犠牲者が計上され
ていない。確かに砲撃や爆撃はそんなに無かったろうが(中国側の南京爆撃もあったので皆
無ではないが)、軍事行動とは砲爆撃だけとは限らないのである。例えばラーベ日記1月8日
には安全区で暴動が発生したことが記されており、参加者は死刑になったと記されている。こ
ういった犯罪摘発に係わる死亡・負傷原因は「軍事行動か兵士の暴行か」という二択で分類
するは困難である。こういった死亡についても、「砲撃、爆撃の犠牲者ではない」という理由
から「兵士の暴行」に区分されている可能性が高いのではないだろうか?。


 このように考えていくと、調査票を製作する段階で死亡・負傷原因を「軍事行動」と「兵士の
暴行」という二択にしたことがすでに作為的であったとも言えるのである。人が死ぬ原因とは戦
争や兵士の暴行だけではない。実際に農村調査では「病死」や「その他」といった原因につい
て考慮されていたことからもあきらかであろう。しかしながら市部調査でそういった区分を設け
なかったのは、何らかの作為があったのではないか?。つまり「兵士の暴行」に含まれる数字
を過大にする意図があったのではないかと、私は考えるのである。





第ニの不審点

「農村部集計における死因の不審」



 先ず最初に調査結果(集計)を見てもらいたい。死因区分は「暴行」と「病死」のみである。調
査票においては「その他(説明をつける)」という区分が存在しているのだが、集計には
反映されていない。つまり「調査においては”その他に区分される死因はなかった”」という事
になる。

 すると軍事行動に巻き込まれての死亡や、平時の事故による死亡、あるいは(日本軍以外
の加害者による)犯罪に巻き込まれての死亡といったものがなかったということになる。もちろ
ん統計調査であるから、統計上にあらわれないからといって「存在しない」ということにはなら
ない。たまたまサンプルとして抽出されなかったという事も考えられる。しかし調査範囲を考え
た場合、その他に含まれる「犯罪による死亡、事故による死亡などがサンプルに表れな
い」というのははなはだ不審であるといえる。





スマイス調査(農村調査)


第25表 死者数及び死因(調査した100日間のもの)
県名
表示された
住民総数
死亡者
総数
住民
1000人
当たりの
死亡者
死因
殺された
ものの
総数
住民
1000人
当たりの
被殺者数
住民
1000人
当たりの
病死者数
暴行
病気
江寧
433,300
10,750
25
7,170
1,990
1,590
9,160
21
3.7
句容
227,300
9,140
40
6,700
1,830
610
8,530
37
2.7
栗水
170,700
2,370
14
1,540
560
280
2,100
12
1.6
江浦
10,900
5,630
51
4,990
-
630
4,990
45
5.7
六号
(1/2)
135,800
3,060
23
2,090
-
970
2,090
15
7.1
1,078,000
30,905
29
22,490
4,380
4,080
26,870
25
3.8※

※バックは『土地利用』において、住民1000人あたりの年平均死亡者数として27.1人をあげている。(33
8頁)同じ割合を100日間にしてみれば、1000人あたり7.4人となる。本文の論述参照。

日中戦争史資料9 英文関係資料集P269
(りっすい県は、さんずいに栗)


 左記が概ね農村調査の範囲である。中央の赤い点が南京城。南京城の北側を流れているのが揚子江であり、江浦県、六合県は揚子江の対岸に位置する。六合県については調査された範囲は約半分である。



「侵華日軍南京大屠殺史料」
江蘇古籍出版(1985年7月初版)より

農村調査票



日中戦争史資料集9 英文関係資料編より
農村調査票


 死亡・負傷原因が暴行、病死、その他の三択であるが、実際の集計の段階(表)において
は、「暴行」「病死」の二つだけであり、その他に分類された原因はない。つまり、軍事行動の
犠牲についても「暴行」として計上されている可能性が高い。また、暴行の加害者が日本兵
であるという注記はないので、野盗化した中国兵などの加害行為も「暴行」に含まれる
考えられる。




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