[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック





南京大虐殺を定義する


南京大虐殺とは何か?
■[南京大虐殺]の大辞林第二版からの検索結果
ナンキン-だいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの1937年(昭和12)12月から翌年1月にかけて、南京を占領した日本軍が 中国人に対して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、 極東軍事裁判では二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。

極東軍事裁判(東京裁判)では二〇万人以上。
中国側の発表では三〇〜四〇万人。

 



極東軍事裁判(東京裁判)における検察側主張

第376号(昭和23年2月18日)(抄)
E「検察側最終論告」(1)
〜略〜
南京強姦事件
J-61
 1937年12月13日、南京が陥落した時、同市内に在る中国軍隊の凡ての抵抗は停止しました。 同市に入城した日本兵は街路にいた民間人たちを無差別に射撃しました。 一度、日本軍が同市を完全に支配するや、強姦、殺戮、拷問及び掠奪への耽溺が始まり、 それが6週間続きました。最初の2〜3日間に2万人以上の人々が日本軍により即座に死刑に 処せられました。  6週間に南京市内とその周りで殺害された概数は、26万ないし30万で、 全部が裁判なしで残虐に殺害されたのであります。 この概数の正確性は紅卍字会と崇善堂の記録がこの二つの団体で 15万5千以上の死体を埋葬した事実によって示されております。 6週間の同期間において2万名を下らざる婦人と少女は日本軍に強姦されたのであります。
(「日中戦史資料集」8 東京裁判資料編P300)

南京大虐殺の東京裁判における検察泡主張
期間は南京陥落から6週間。
範囲は南京市内とその周り。
(南京城とその周辺)
被災者数は20万以上



南京大虐殺60年国際シンポジュウムにおける質疑応答から
出典「南京事件をどう見るか」 藤原彰編 青木書店 P146

藤原 『〜笠原先生は近郊農村を含めた範囲についての報告だったが、孫先生の「南京大虐殺の規模について」という報告の中で、範囲はどのようにとっておられるのか伺いたい。これがはっきりすると日本側との間で整合性ができると思うので。』

孫 『私は南京の周りの県を含めるという笠原先生の意見に賛同する。しかし犠牲者数については問題がある。私たちが言っている30万というのは、まわりの六県その他の地域を入れていないこれは新たな課題として考えていきたい』



 以上のように、「南京大虐殺」とは20万以上の規模の事件を指す固
有名詞として考えなければならないようです。中国側が主張している3
0万というのは、南京城とその周辺数キロの範囲であり、いわゆる近
郊県は含まれないと判断してよいでしょう。


 
南京城と周辺郷区(南京城区)のイメージMAP。

 南京城から数キロの範囲で30万以上が殺害されたというのが、中国側主張の南京大屠殺で、概ねこの範囲に収まるようです。中央のピンク色の部分が南京城に相当します。(行政区上の城内区の為、実際の城壁形状とは若干違います)





近郊県を含んだ南京行政市のイメージ

 こちらは近郊県を含んだ南京行政区(南特別市)のイメージMAPです。日本の虐殺派の方々はこのくらい範囲を広げて、時間も三ヶ月間に延長して、十数万から20万に近い数、あるいはそれ以上としているようです。要するに資料があまり残っていない場所まで範囲を広げることにより、虐殺数を水増しするのが目的のようです。
 
 中央付近の赤い点が南京城です。上の地図と比べると、近郊県を含んだ範囲がかなり広いのがわかるでしょう。











 南京大虐殺とは固有名詞なのか、それとも南京で発生した数量不詳の虐殺事件という意味
なのか、ちょっと考察してみましょう。まず中国側では「南京大屠殺」と呼称しています。その
規模は30万以上ということで固定されているようです。虐殺派の笠原教授が中国で論文を
発表した所、犠牲者数10数万とした部分が削除されたということです。これは中国側の公式
見解が30万以上であるから、それよりも少ない見積もりは認められないという意味と考えてよ
いでしょう。つまり、日本の虐殺説10数万でも、南京大屠殺とは呼べないということになりま
す。


 すると、中国語の南京大屠殺に該当する日本語が南京
大虐殺であるならば、同時に30万という規模でなければ
南京大虐殺とは呼べないということになるでしょう。この辺
りをちょっと検証してみることにします。






実例の検証
■中国側研究書の確認

「南京保衛戦史」孫宅魏 P140
 引用先書籍の名称として 田中正明『「南京大殺」之虚構』をあげている。 この本の日本語名称は「南京大虐殺の虚構」であることから 中国の歴史研究家も「南京大虐殺=南京大屠殺」と考えていることがわかる。
(ちなみに孫宅魏氏は「江蘇省現代史学会副会長」「南京大屠殺史研究会副会長」 「中国抗日戦争史学会理事」等など他にも多数の肩書きを持っている有名研究家 であり、その肩書きから「公的な研究家」ということができる)



■日本では南京大屠殺をどのように訳しているのだろうか?

1983年8月に発行された
『史料選輯(侵華日軍南京大殺史料専輯)代第四輯(内部発行)』 これの日本語版「証言・南京大虐殺」と訳された。 ここでも「南京大屠殺=南京大虐殺」と考えられている。





以上のように中国側も日本側も
「南京大屠殺」=「南京大虐殺」と考えているようなの
南京大虐殺の定義は以下のようになります。


期間は南京陥落から6週間。
範囲は南京市内とその周り。
(南京城とその周辺)
虐殺数は20万以上 (必須条件)











■南京大虐殺に関する論点。
1 南京の陥落時の人口
2 南京防衛軍の数
3 埋葬記録
4 中国兵処刑に関する国際法上の解釈



南京の陥落時の人口に関して
東京裁判では、100万住民の半数以下という認定であり、中国側は市民40万〜50万している。 基準となる数値は「約25万」であり、陥落時50万なら「市民約25万人が減少」(虐殺)ということになる。 一方、陥落時25万以下なら「万単位の市民虐殺は虚構」ということになる。



南京防衛軍の数について
1946年、東京裁判では「南京防衛軍は5万」と認定している。
1984年初版の中国側公式資料集である「証言・南京大虐殺」(日本語版) でも、 南京防衛軍は「5万」となっている。
1985年11月に「孫宅魏」氏 が発表した「評唐生智在保衛戦中的功過」においては 「南京防衛軍10万」となっている。これは、当初10万という意味である。
1988年になると「南京防衛軍15万説」(孫宅魏)説が登場した。
 なんら新資料が発見された訳ではないのに不思議なことである。

○現状で最も信頼度が高いのは、当時南京防衛軍作戦科の科長だった「譚道平推計(約8万)」である。 これは「戦闘兵5万+雑兵(後方支援)3万」というもので、 当時の戦史との矛盾が最も少ない。




■南京から撤退に成功した中国軍は、中国側戦史によると「3万5000人」 が確定している。ただし、戦史が残っていない(台湾にあるかもしれないが) 部隊が4ケ師ほどあり、また撤退成功後、軍には戻らず逃亡した兵士がいるはずなので、4万〜5万 が撤退成功考えられる。
孫宅魏説においては「撤退成功5万」としている。
■戦死については、中国側戦史によれば約2万であるが。これも記録が残ってない 部隊があるので、最小値と考えてよいだろう。ただし、12月初旬の外郭陣地 での死傷者が含まれるので、狭義の南京戦12月9日以降の戦死は1万〜2万と考えられる。




■東京裁判認定では防衛軍5万中「捕虜として3万人以上」殺害。
15万説では「8万人」が殺害されたとしている。



埋葬記録について
1 紅卍字会の約4.2万
2 崇善堂の約11.2万
3 太田供述の15万(水葬約7万他日本軍が処理したもの)
4 その他約6万

 東京裁判に提出されたのは「紅卍字会=約4.2万」「崇善堂=約11.2万」 「個人埋葬と南京市長の合計=約1.3万」である。
 ■埋葬団体について日本側と外国人の記録に残っているのは「紅卍字会」のみであり、同団体の 記録が複数団体の集計であることも判明している。
 ■崇善堂については、外国人、日本側双方に記録なし。
 ■また、太田供述については信憑性が低く、特に水葬7万についてはほぼ否定されている。
埋葬記録自体は、死体の総数(民間人、軍人)を表すものなので、 その数が即、虐殺を表すものではない。また、改葬(埋めなおし)なども重複 して計上されている可能性が高い。



国際法について
虐殺の定義を『国際法に違反した処刑』と考える時に必要。 この議論をすることにより、虐殺人数を減ずることが可能だが、 このHPでは、中国側の虐殺定義にそって(ただし戦死を除いて)数の考察を行う。









結論及び考察

当時、南京に残留し避難民の保護に従事した外国人の記録によれば犠牲者数は「民間人1.
2万と捕虜3万」である。 しかし、この見積もりは埋葬記録からの考察であり、戦死や改葬
他、陥落前の 死傷者なども含まれている可能性がある。  特に、民間人の埋葬については
「民間服に着替えた兵隊」が含まれている 可能性が高いので1.2万は明らかに過大であり、
1938年の戦争被害調査における「殺された民間人2400人」 「連行され帰らないもの4200人
(便衣兵として処刑?)」合計「6600人」という数値のほうが妥当であると思われる。(ただし、
6600人には安全区内で暴動を起こして処刑された民間人なども含まれている可能性が高い)



■当時の第三国報道や外国人の記録からは「南京大虐殺30万」という荒
唐無稽な大事件を 読み取る事はできず、万単位の婦女子を惨殺したと
いう記述にいたっては皆無である。




市民の被害規模
市民の被害は兵士の暴行による2400人
連行され帰らない者(便衣兵として処刑されたと推測) 4200人
合計6600人程度。
以上、1938年スマイス博士の戦争被害調査による。



南京防衛軍の行方

(1)「当初8万−撤退成功4万=残留軍4万」

(2) 残留軍4万から、戦死(推計)1.5万をマイナスすると=「敗残兵2.5万」

(3) 敗残兵2.5万には処刑されなかった捕虜(生存捕虜)が少なく見積もっても3000人程度いるので最終的に処刑された可能性のある中国軍は「2万強」


(注 生存捕虜については、捕獲した部隊の戦果報告と実際の収容人数が違う場合が想定される。戦果は過大に計上されることが多い)

 南京防衛軍の総数は「約8万」が最も妥当と思われ、戦闘兵に限定した場合は 「5万」という
数字とも合致する。 撤退成功は、少なく見積もっても4万程度と考えられる。





このHPにおける南京事件の規模
推  計


事件の規模処刑された可能性のある中国兵「2万人強」
便衣兵として処刑された可能性のある民間人「4200人」
以上が戦闘行動に付随する行為。

兵士の暴行による市民死亡「2400人」程度
(スマイス調査)


結   論
 南京事件の規模は、国際法の議論をしない状態(つまり、捕虜・便衣兵の殺害を100%違法計上)しても2万〜3万であり、その犠牲者の大半が中国兵だった。この内数千〜一万程度は私服の状態で非武装区に潜伏した者で、その行為は戦時重罪(正規の軍人による有害行為)を構成する。軍事裁判が行われていれば、処刑は完全に合法である。




 民間人の犠牲者は、スマイス調査によれば、2400人程度であるが、2400人の75%程度が青壮年の男性であることから、南京市民で徴兵された者が、防衛軍崩壊後、軍服を脱いで家族のいる安全区に潜伏した状態(便衣兵扱い)で処刑されたれた例なども含まれる可能性が高い。



 いずれにしても、市民だけで20万以上が殺害されたという、南京大屠殺は完全なる虚構であり、ファンタジーにすぎない。







南京大虐殺関係資料TOPへ